Fortune Lotus

- 寿夭 -
七夜目

100歳まで生きた人

1534年12月23日 戌の刻 乾造

戊 辛 丙 甲
戌 未 子 午
    (癸)

水 2干0支 2点 比劫
木 1干1支 2点 食傷
土 1干2支 4点 官殺

格局:内格身弱 喜神:金水 忌神:木火土

この方は正確には1632年の丙運壬申年に逝去したということです。
明の時代の方でしょう。
亡くなられたのは満98歳、数えで99歳ということになります。
現代においてもこれくらい生きられたらスーパーご長寿の部類なので当時は仙人のような感じだったのではないでしょうか。
調べているうちに「織田信長」と生まれた年が一緒だと気が付きました。

しかしこの命式は非常に難解ですね…素直に見れば正確には「内格身弱」なのですが亡くなった大運と年運を見ると「従殺格」なのではないかと思ってしまいます。
この命式は日主が変化干合で別の五行になっており格局を決めるまでにからくりが多いので一つ一つ整理していきたいと思います。
まず日主「辛」と月干「丙」が月令の「子」によって水に変化します。
この場合変化したのちを「癸」と「壬」とはせずただ単に水のかたまりがどんとあるのをイメージしてください。
このように陰陽の干が合体して変化干合を起こすとこのかたまり自体は陽干扱いになります。
日主が水に変化したことにより、時干「戊」は官殺、年干「甲」は食傷となります。
もともとは陰干だった日主ですが陽干に変化し月令を得ているので、児財殺の従格にはなりません。
官殺の方が点数は高いのですが陽干月令というセオリーでは従殺格とはならず内格身弱となるわけです。

かなり昔の方なのでどんな人生を送ったのかはわからず様々なことの推測ができないのですが、亡くなった年を見ると喜神運なので本当に身弱なのかと疑ってしまいます。
大運の「丙」は変化しているとはいえもともと辛だった日主と一緒になり化水します。
さらに年運の壬申は水だらけなのでこの方にとってはどれも喜神のはずなのになぜ…となるわけです。
歳が歳だからと言ってしまえばそれまでですが、何か腑に落ちません。

夭折の命

1973年5月9日 午の刻 乾造

壬 乙 丁 癸
午 巳 巳 丑
    (丙)

木 1干0支 1点 比劫
水 2干1支 4点 印綬
火 1干3支 27点 食傷

格局:内格身弱 喜神:水木 忌神:火土金

とある四柱推命の本に紹介されていた命式です。 この命式を子平のロジックで読み解いていきたいと思います。

日主に根がなくかなり弱いので食傷、財、官殺の従格になるのかと思いきや印綬が2干ありおまけに通根しているので身弱となります。
月令を得た忌神である「丁」が地支3つに通根しており点数がかなり高くなっている上に君側にあります。
これは根がない日主にとってかなり痛手のダメージです。
かろうじて年干の喜神「癸」が「丁」を抑えようとしていますが、いかんせん「癸」一干ではたった2点でおまけに根が「丑」という雑気なので27点の「丁」を抑える力がほとんどありません。

辰運己未年である1979年に白血病で夭折したとあります。
前年1978年の辰運戊午年で年干「癸」と流年「戊」が火化し、さらに「午」という火の根が増えるので発病したのかもしれません。
「辰」は喜神である「壬」の根になりますがそれだけでは月令を得た火には対抗ができません。
母の看病もむなしく…という文言が浮かぶ悲しい状況です。
亡くなった年に忌神の財である「己」が流年で来て、これまで喜神である「壬」と「癸」を支えていた「丑」と「辰」が一気に忌神「己」の根になってしまいます。
「未」は年支「丑」と冲去するかと思いきや、時支「午」がそれを阻み"冲遇合則抵消"の状態になり、「丑」「未」「午」はどれも存在することになります。
つまり、忌神である「火」と「土」が増えすぎて生命が持たなかったと推測します。
生命の是非を問うにはこのような忌財が大きく関与していることが多々あり(財帛はお金の他に生命エネルギーを指す)、重々に気を付けなければなりません。
子平を扱うようになったらこのような悲しい命式をたくさん見ることになります。
その時ふと「人ってなんだろう…」と考えてしまい、この知識を得て出来ることは何なのかといつまでも反芻してしまいます。

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